− お庭番 黑の助 −
レンガ造りになまこ塀、三角屋根のてっぺんでは風見鶏が風に乗ってクルクル回っている。
まさに大正ロマンな建物は後楽園からすぐの場所に立つ夢二郷土美術館。
「ようこそ!」と明るく迎えてくれたのは美術館の創設者松田基さんのお孫さんに当たる小嶋ひろみさんだ。
「そしてこのこが御庭番頭(おにわばんがしら)の黑の助」
「うーん、かわいい!黒猫って気がいいんだよね」
早速抱かせてもらえばずっしりとした重み。
黄金色の瞳を光らせた黑の助は両備の猫社員唯一のオス猫だ。
車に轢かれそうになっていたちっちゃい黒猫を職員が拾ってきたという。
地方公共交通を担う固い会社の割には、柔らかいところのある両備グループ。
黑の助と名付けられた黒猫も庭が好きなところから、お庭番に就任。
近年、お庭番頭に昇格した。
黒猫は夢二の美術館によく似合う。
「そしてこのこが御庭番頭(おにわばんがしら)の黑の助」
「うーん、かわいい!黒猫って気がいいんだよね」
早速抱かせてもらえばずっしりとした重み。
黄金色の瞳を光らせた黑の助は両備の猫社員唯一のオス猫だ。
車に轢かれそうになっていたちっちゃい黒猫を職員が拾ってきたという。
地方公共交通を担う固い会社の割には、柔らかいところのある両備グループ。
黑の助と名付けられた黒猫も庭が好きなところから、お庭番に就任。
近年、お庭番頭に昇格した。
黒猫は夢二の美術館によく似合う。
− 真っ黒な姿態に金色の瞳 黑の助は正統派の黒猫だ −
− 黑の助をスケッチ中、じっと見守るお庭番頭 −
− 出来たよ!で、一人と一匹満足そう −
黒船屋をはじめ夢二の絵にも黒猫はたくさん登場する。
2月21日から3月31日までは、企画展『黒の助の写真展お庭番頭ねこ「黑の助」7th Anniversary 展』が開催されている。
私の描いた黒黑の助も展示されているので、ぜひご覧あれ。
「すがりつきたいほど懐かしい」
16歳で上京し岡山を出た後もふるさと岡山への想いをつのらせた夢二。
父の転勤に次ぐ転勤でふるさとと呼べる場所を持たない私にとって、ちょっとうらやましいような気もするけど、結局岡山へは帰らなかった夢二の作品をふるさとの空気の中で展示したいという強い思いを抱いたのが松田基という人。
1966年当時両備グループの代表であった松田基は夢二の作品にほれ込んで、次々に作品を集め夢二郷土美術館を設立した。
肉筆画では随一のコレクションを誇り、ミシュランの一つ星も獲得したとひろみさんが説明してくれた。
どの絵を見ても、これは夢二だとわかる。
短いけれど平和だった大正という和洋折衷の華やかな文化を感じさせる独特の画風だ。
もともと夢二は好きだった。
女性の横顔や手などの線のきれいさがいい。
そこはかとないかわいさという感覚を、あの頃の男性にしては良くよくわかっていた。
空間の使い方や縁模様、楽譜の表紙など、とてもセンスがいい。
2月21日から3月31日までは、企画展『黒の助の写真展お庭番頭ねこ「黑の助」7th Anniversary 展』が開催されている。
私の描いた黒黑の助も展示されているので、ぜひご覧あれ。
「すがりつきたいほど懐かしい」
16歳で上京し岡山を出た後もふるさと岡山への想いをつのらせた夢二。
父の転勤に次ぐ転勤でふるさとと呼べる場所を持たない私にとって、ちょっとうらやましいような気もするけど、結局岡山へは帰らなかった夢二の作品をふるさとの空気の中で展示したいという強い思いを抱いたのが松田基という人。
1966年当時両備グループの代表であった松田基は夢二の作品にほれ込んで、次々に作品を集め夢二郷土美術館を設立した。
肉筆画では随一のコレクションを誇り、ミシュランの一つ星も獲得したとひろみさんが説明してくれた。
どの絵を見ても、これは夢二だとわかる。
短いけれど平和だった大正という和洋折衷の華やかな文化を感じさせる独特の画風だ。
もともと夢二は好きだった。
女性の横顔や手などの線のきれいさがいい。
そこはかとないかわいさという感覚を、あの頃の男性にしては良くよくわかっていた。
空間の使い方や縁模様、楽譜の表紙など、とてもセンスがいい。
− これは昔取材で行った東大のすぐそばにある夢二美術館に行った時のスケッチ −
それもそのはず。
夢二は自分がデザインした千代紙、版画、手ぬぐいなどの雑貨を商う「港屋絵草紙店」を、離婚した妻や子供たちが自立するために開店し一時はたいそう繁盛したという。
今の雑貨屋の走りともいえ、同じように自分の絵を元に革製品や雑貨を作っている私はテレビの夢二特集でその店を見た時「こりゃ面白い!」と思った。
もちろん江戸時代にも絵師が雑貨の絵を描くことはあっても、自分のリスクですべてやったことに感心し、シンパシーを感じたのだ。
それに絵を習ったことがないこと、独学でありながらいろいろな表現方法を試みたこと、憧れと夢を抱いて海外に渡ったことなど、夢二の人生の様々な場面で私はシンパシーを感じるのだ。
そんな夢二の作品、今の若い人はどう思っているのだろう?
ひろみさんに聞いてみると、大正ロマンが流行っていることもあり、若い人の来館も多いよう。
そしてこの美術館の面白いのは“こども学芸員”という活動をしているところ。
夢二の絵をこどもの視点からとらえている。
こども学芸員の解説書をいただき、読ませてもらってとても興味深かった。
河口湖にあるダヤンの木ノ花美術館でもいつかやってみよう!
あまり時間がないけど、もう一枚スケッチしたくて、さて何を描こうか?
入り口の大きな垂れ幕にあるちょっとすかした夢二の写真を描くことにした。
有名な夢二の詩も余白に入れてみる。
夢二の詩はため息みたい。
そういえば夢二の絵からもひそかなため息が聞こえてきそうだ。
夢二は自分がデザインした千代紙、版画、手ぬぐいなどの雑貨を商う「港屋絵草紙店」を、離婚した妻や子供たちが自立するために開店し一時はたいそう繁盛したという。
今の雑貨屋の走りともいえ、同じように自分の絵を元に革製品や雑貨を作っている私はテレビの夢二特集でその店を見た時「こりゃ面白い!」と思った。
もちろん江戸時代にも絵師が雑貨の絵を描くことはあっても、自分のリスクですべてやったことに感心し、シンパシーを感じたのだ。
それに絵を習ったことがないこと、独学でありながらいろいろな表現方法を試みたこと、憧れと夢を抱いて海外に渡ったことなど、夢二の人生の様々な場面で私はシンパシーを感じるのだ。
そんな夢二の作品、今の若い人はどう思っているのだろう?
ひろみさんに聞いてみると、大正ロマンが流行っていることもあり、若い人の来館も多いよう。
そしてこの美術館の面白いのは“こども学芸員”という活動をしているところ。
夢二の絵をこどもの視点からとらえている。
こども学芸員の解説書をいただき、読ませてもらってとても興味深かった。
河口湖にあるダヤンの木ノ花美術館でもいつかやってみよう!
あまり時間がないけど、もう一枚スケッチしたくて、さて何を描こうか?
入り口の大きな垂れ幕にあるちょっとすかした夢二の写真を描くことにした。
有名な夢二の詩も余白に入れてみる。
夢二の詩はため息みたい。
そういえば夢二の絵からもひそかなため息が聞こえてきそうだ。
− 夢二にはすかした態度が良く似合う −
今回は駆け足だったけど、もうひとつの展示室といわれるアートカフェにも行きたかったし、おみやげもゆっくり見たかった。
この次は時間を取って生家や東京のアトリエをそのまま建てたという少年山荘にも足を延ばしてみよう。
この次は時間を取って生家や東京のアトリエをそのまま建てたという少年山荘にも足を延ばしてみよう。
(「こども学芸員」による解説『こども学芸員による夢二郷土美術館所蔵作品解説Ⅱ』より)
こども学芸員による夢二郷土美術館 所蔵作品解説Ⅱ
夢二郷土美術館ONLINESHOP
https://yumeji-art-museum.com/ec/item/2170/
こども学芸員による夢二郷土美術館 所蔵作品解説Ⅱ
夢二郷土美術館ONLINESHOP
https://yumeji-art-museum.com/ec/item/2170/
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作家プロフィール
池田あきこ
東京、吉祥寺生まれ。
1976年、革工房わちふぃーるど設立。
1983年、初の直営店を自由が丘にオープン。ショップのシンボルマークとして『猫のダヤン』が誕生した。
1987年より不思議な国わちふぃーるどを舞台に絵本を描き始め、画集、長編物語、旅のスケッチ紀行など多方面に作品を発表。著書は130タイトルを超える。
1999年、初の原画展全国ロードを開始。
2010年から「ボルネオ緑の回廊」プロジェクトで、動物たちに安全な森をプレゼントする活動を続けている。
2018年、立体的に世界を楽しむ「猫のダヤン35周年 ダヤンと不思議な劇場 池田あきこ原画展」を松屋銀座を皮切りに全国ロード開催。河口湖木ノ花美術館にて常設展開催中。
2023年6月28日より猫のダヤン40周年記念展『池田あきこ原画展ーダヤンの不思議な旅』を銀座松屋で開催。
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