




美作の真木山周辺の地域は室町の時代から続くお茶の産地。今回の瀬戸内の人は真木山の麓、海田(かいた)地区にある海田園黒坂製茶の黒坂氏に話を伺った。
757年に孝謙天皇の勅願により唐の鑑真和尚が真木山頂に開基した。1390年ごろには山頂に65坊が立ち並び、西の高野山といわれるほどの霊場となり、それに応じた形でお寺に納めるための茶づくりがこの地区で盛んになり、産業として定着した。海田地区以外でも真木山を中心として茶づくりが盛んだったようで、室町時代の文献にお茶は武蔵、山城、美作の産物として紹介されていたとのこと。
757年に孝謙天皇の勅願により唐の鑑真和尚が真木山頂に開基した。1390年ごろには山頂に65坊が立ち並び、西の高野山といわれるほどの霊場となり、それに応じた形でお寺に納めるための茶づくりがこの地区で盛んになり、産業として定着した。海田地区以外でも真木山を中心として茶づくりが盛んだったようで、室町時代の文献にお茶は武蔵、山城、美作の産物として紹介されていたとのこと。
先祖代々、茶畑で茶葉を生産し、工場に茶葉を出荷していたが、「そろそろ自分で工場を持ってみてはどうか」という進言もあり、先代が生産から販売まで一貫製造を行う工場を整えた。
二代目の黒坂氏が事業を引継いだ当初は、茶のもみ方がなかなかうまくいかず、研修などにもでかけ精進をされたとのこと。今ではようやく納得できるお茶になってきたと思えるようになったと笑いながら話してくれた。他に経営の苦労はないかと尋ねてみたが、「つらいことはそうないな、お茶時期は朝早くから夜遅くまでするけど、お茶揉んだりするのは楽しい」と語る。
二代目の黒坂氏が事業を引継いだ当初は、茶のもみ方がなかなかうまくいかず、研修などにもでかけ精進をされたとのこと。今ではようやく納得できるお茶になってきたと思えるようになったと笑いながら話してくれた。他に経営の苦労はないかと尋ねてみたが、「つらいことはそうないな、お茶時期は朝早くから夜遅くまでするけど、お茶揉んだりするのは楽しい」と語る。


茶色と聞いても煎茶のような緑色を思い浮かべることはない。「昔は番茶のお茶の色が茶色だったから茶色といわれたのだろうという勝手な仮説を立てている」と、黒坂氏はにんまりとしながら語った。我々が慣れ親しんでいる煎茶が飲まれだしたのは、江戸時代の中期に永谷宗円により青製煎茶製法が開発された後のこと。それまではお茶といえば番茶であった。
美作は、冬は雪が積もり、春でも遅霜がおりる寒暖差の大きな地域。初摘みの茶葉がダメになってしまっても問題がなかった。中山間地で寒暖差のある地区で育てることにもメリットはあるようだ。黒坂氏のお茶は露地栽培なのだが、香りが高くほのかな甘みがあるお茶だとバイヤーからは評価されるとのこと。市場では香りの岡山茶と評されているようである。
美作は、冬は雪が積もり、春でも遅霜がおりる寒暖差の大きな地域。初摘みの茶葉がダメになってしまっても問題がなかった。中山間地で寒暖差のある地区で育てることにもメリットはあるようだ。黒坂氏のお茶は露地栽培なのだが、香りが高くほのかな甘みがあるお茶だとバイヤーからは評価されるとのこと。市場では香りの岡山茶と評されているようである。
話を伺っている中、奥様がお茶をいれてくださった。熱すぎず、かといってぬるいわけでもないちょうどいい塩梅のお茶にほっと息をついたところ、「ここに飾ってある黒ラベルはうちのお茶を仕入れて、東京で販売してくださっている方が忙しい夏場に3~4日ぐらい手伝いに来てくださって、宿泊代の代わりにとデザインしてくださったんです。最近白いパッケージもつくったんです。黒は、明るい場所に置く分にはいいんですが・・・」としばらく商品パッケージの話に花が咲いた。
「アンケートをとったら男の人は黒が多かった。女の人は白の方が清潔感があり、台所に置いておくのも白がいいって言われたんですね。それでまた悩んでるんです」と真剣さが伝わる。
「アンケートをとったら男の人は黒が多かった。女の人は白の方が清潔感があり、台所に置いておくのも白がいいって言われたんですね。それでまた悩んでるんです」と真剣さが伝わる。


販売や、商品化については奥様が中心に進められているとのこと。全体的に昔ほどお茶を買う方が減り、ペットボトルにはない心を癒すお茶の本当の美味しさを、手軽に味わっていただき、品種ごとの味わいの違いの楽しみも含めて、マイボトルにも使えるティーバッグの商品も販売している。
差別化も図るためにはパッケージの工夫もしているとのこと。商品も多様化を図り、紅茶も作っている。紅茶の販売に着手したおかげで、お客さんの幅が広がってきたようだ。「静岡の島田の地紅茶フェスティバルに行ってきた。飲み比べしてみて、うちのもなかなかいいのかな」と語る黒坂氏が少年のように見えた。
差別化も図るためにはパッケージの工夫もしているとのこと。商品も多様化を図り、紅茶も作っている。紅茶の販売に着手したおかげで、お客さんの幅が広がってきたようだ。「静岡の島田の地紅茶フェスティバルに行ってきた。飲み比べしてみて、うちのもなかなかいいのかな」と語る黒坂氏が少年のように見えた。
商品開発だけでなく、茶畑への散策、茶摘み体験、お茶の飲み比べ、お茶の淹れ方教室等、お茶を身近に楽しんでいただける体験を少人数での予約も受け入れている。ただ、繁忙期になると対応できるスタッフが少数のため十分な対応ができない時もあるようだ。
この時期に働きに来てくれるなら大歓迎とのこと。
海田というお茶の産地があることを多くの人に知ってもらいたいという気持ちやお茶を身近なものとして感じてもらいたい、ここに来てもらって茶葉と遊んで、産地のおいしいお茶をのみ、お茶を好きになってもらって、最終的にはファンになってもらいたいという気持ちでやっていると聞いて、頭が下がる思いだ。
海田というお茶の産地があることを多くの人に知ってもらいたいという気持ちやお茶を身近なものとして感じてもらいたい、ここに来てもらって茶葉と遊んで、産地のおいしいお茶をのみ、お茶を好きになってもらって、最終的にはファンになってもらいたいという気持ちでやっていると聞いて、頭が下がる思いだ。


最後に、今後の展望を伺うと、「魅力ある経営、あんまり儲からなくてもいいけどお客さんがたくさん来て楽しそうにしていたり、体験きたり、みんなにこにこしていられるような会社にしたい」という経営者としての意思と「いいお茶をつくって、美作番茶はこの地でずっと作られてきたものやからこれは残さないけん。煎茶は、全国の品評会でも受賞できるようになるまで、もう一息。一生勉強という思いでチャレンジして技術を磨いて、いいものを作っていく」という職人魂を聞かせてくださった。
最後にいたずら小僧のように「売るのは下手なんやけどね」と笑う黒坂氏が印象的だった。
最後にいたずら小僧のように「売るのは下手なんやけどね」と笑う黒坂氏が印象的だった。