




柿にこだわり、柿とともに。
奈良・平安の時代から珍重された柿の伝統を守り、柿の加工品の製造・販売を手掛ける國和産業株式会社の友國社長にお話を伺った。
國和産業は、1971年に友國社長の父である友國博氏が創立した。博氏は、大分県で生まれ、岡山県倉敷市に移り住んだ後、故郷・大分の景勝地「耶馬渓」の辺りで作られていた、昔ながらの藁ズトで巻かれた保存食をヒントに、干し柿で作った「柿巻」を土産物として販売したのが國和産業のはじまり。
國和産業は、1971年に友國社長の父である友國博氏が創立した。博氏は、大分県で生まれ、岡山県倉敷市に移り住んだ後、故郷・大分の景勝地「耶馬渓」の辺りで作られていた、昔ながらの藁ズトで巻かれた保存食をヒントに、干し柿で作った「柿巻」を土産物として販売したのが國和産業のはじまり。
國和産業の原点である「柿巻」とは、博氏が収穫されず利用されていなかった渋柿を干し柿へ加工。干し柿を切って開き、重ねて層にしたものを巻き込んだ昔ながらの和菓子。
干し柿の歴史は古く、平安時代中期の法典「延喜式(えんぎしき)」に祭礼用の菓子として食されたことが記載されている。保存に優れているだけでなく、「柿が赤くなると医者が青くなる」ということわざがあり、栄養価が高く冬場の非常食として重宝されてきたそうだ。
干し柿の歴史は古く、平安時代中期の法典「延喜式(えんぎしき)」に祭礼用の菓子として食されたことが記載されている。保存に優れているだけでなく、「柿が赤くなると医者が青くなる」ということわざがあり、栄養価が高く冬場の非常食として重宝されてきたそうだ。


國和産業で使用されている原料の干し柿は、輸入がほとんど。国内外を問わず柿農家の高齢化が進む中、将来的に安定した柿の確保を目的として、2020 年 11 月に「柿から地方創生」の理念のもと、農産事業部を立ち上げ、柿の自社栽培を開始した。
國和産業の干し柿づくりは機械化が進んでおり、柿の皮むきやヘタ取り、乾燥まで自社工場で半自動化しているそうだ。
「柿名人」という直球なネーミングの乾燥機にかけ、温度や湿度、衛生面を徹底管理した乾燥室で暖簾のように吊るして乾燥させて干し柿をつくる。
乾燥によって、渋柿の可溶性の「タンニン」という成分が不溶性に変わり、渋味が取れて甘くなる。砂糖を付けずとも糖度 40 ~ 60 度 ( あるいは 50 度程度)まで甘みが出るという。
熱殺菌をすると渋味が戻ってしまうそうで、菓子にしては賞味期限が短い商品だが、その分柿本来の甘みや食感が楽しめる逸品だ。
乾燥によって、渋柿の可溶性の「タンニン」という成分が不溶性に変わり、渋味が取れて甘くなる。砂糖を付けずとも糖度 40 ~ 60 度 ( あるいは 50 度程度)まで甘みが出るという。
熱殺菌をすると渋味が戻ってしまうそうで、菓子にしては賞味期限が短い商品だが、その分柿本来の甘みや食感が楽しめる逸品だ。


「桃栗三年柿八年」ということわざに代表されるように、柿の栽培は非常に手がかかるそうだが、広島県世羅町で行われている梨のジョイント栽培を柿栽培に取り入れた。
ジョイント栽培は、通常縦に高く伸びる樹種を横方向に繋げることで、脚立が不要となり安全面や作業効率に効果がある果樹栽培の省力化を目的とした農法とのこと。
ジョイント栽培は、通常縦に高く伸びる樹種を横方向に繋げることで、脚立が不要となり安全面や作業効率に効果がある果樹栽培の省力化を目的とした農法とのこと。
取材にあたって本社から200mほどの小高い丘の上にある試験場を案内してくださったが、子どもの成長を見るように柿の木を見守る友國氏のあたたかい目が印象的だった。
「豊かな自然と伝統を守り、洋々たる未来に輝く環境と文化を築き、種を播き、育み、実りを喜び祝い、世界に通じ、共に地域社会に還元し、分かち合う。」
先代の博氏が唱えた社是のもと、フルーツ王国岡山から挑戦していく。
「豊かな自然と伝統を守り、洋々たる未来に輝く環境と文化を築き、種を播き、育み、実りを喜び祝い、世界に通じ、共に地域社会に還元し、分かち合う。」
先代の博氏が唱えた社是のもと、フルーツ王国岡山から挑戦していく。
