4,000以上あるという日本のお城総選挙で備中松山城は堂々の19位。
なぜに人気?といえば、ひとつには雲海に浮かぶ城として。
その景観は日本のマチュピチュと異名をとるほどなのだ。
雲海を見るのにいい時期は秋口なので、今回は断念したけれど、翌週カメラマンが独自に行って、撮ってきた画像がこれ。
なぜに人気?といえば、ひとつには雲海に浮かぶ城として。
その景観は日本のマチュピチュと異名をとるほどなのだ。
雲海を見るのにいい時期は秋口なので、今回は断念したけれど、翌週カメラマンが独自に行って、撮ってきた画像がこれ。
雲海に浮かぶ備中松山城
時期が合わないとはいえなかなかのもので、あー、私も行けばよかった。
但馬の竹田城も雲海の城として名高いけれど、松山城のポイントは天守閣が雲の間から顔をのぞかせること。
ね、もうちょっと雲が迫ったところを想像してみて。
なんといっても松山城は天守が現存する唯一の山城なのだ。
標高430mの臥牛山頂まで、一段あたりが異様に高い石段をのぼっていくのは結構キツイ。車のない時代、殿様や奥方様がどうやって登ったのだろう?
ハアハア息を切らしながら、観光協会の方に聞いたら
「戦のためのお城なので、普段はあまりお城にはいなかったのではないでしょうか」とのこと。
頂上付近の大岩に貼りついた苔がとってもきれい・・なんて、言いながらしょっちゅう休んじゃう。
時期が合わないとはいえなかなかのもので、あー、私も行けばよかった。
但馬の竹田城も雲海の城として名高いけれど、松山城のポイントは天守閣が雲の間から顔をのぞかせること。
ね、もうちょっと雲が迫ったところを想像してみて。
なんといっても松山城は天守が現存する唯一の山城なのだ。
標高430mの臥牛山頂まで、一段あたりが異様に高い石段をのぼっていくのは結構キツイ。車のない時代、殿様や奥方様がどうやって登ったのだろう?
ハアハア息を切らしながら、観光協会の方に聞いたら
「戦のためのお城なので、普段はあまりお城にはいなかったのではないでしょうか」とのこと。
頂上付近の大岩に貼りついた苔がとってもきれい・・なんて、言いながらしょっちゅう休んじゃう。
大岩に絡みついた苔はまるでレースみたい
更に登れば迫力ある石垣の向こうに天守が見えてきた。
こんな大きな石をこんな高さまでどうやって運んだんでしょう?あっぱれあっぱれ!
天守までたどり着くと、迎えてくれたのは?
もうひとつ、松山城に人を呼び寄せる大切な要素となっているのがこの方!
更に登れば迫力ある石垣の向こうに天守が見えてきた。
こんな大きな石をこんな高さまでどうやって運んだんでしょう?あっぱれあっぱれ!
天守までたどり着くと、迎えてくれたのは?
もうひとつ、松山城に人を呼び寄せる大切な要素となっているのがこの方!
猫城主 さんじゅーろー様は・・
ニャンとものどかなしぐさ。
まあるいお顔にりりしい瞳。
人に取り囲まれようと、写真を撮られようと、絵のモデルにされようと全く気にしないおおらかさ。
ニャンとものどかなしぐさ。
まあるいお顔にりりしい瞳。
人に取り囲まれようと、写真を撮られようと、絵のモデルにされようと全く気にしないおおらかさ。
1. ガン見されてもなんのその
2. ああ風が気持ちいいや
3. スケッチ完成もどこ吹く風
4. けれど絵の中のお殿様は、眼光鋭く城を守る!
さんじゅーろーさまは、平成30年西日本豪雨の際、どこからともなく現れて住み着いたという。
その後飼い主が名乗り出たが、もう人気の猫となっていたので、頼み込んでもらい受け、城主となっていただいたそう。
本物のというと語弊があるが、人間の松山城主末裔の方もご存命と聞き
「さんじゅーろーのことはどう思っていられるのでしょうか?」と聞いてみると
「城を守ってくれてありがとう!」という感謝状をくれたそうですとのこと。
ちなみにさんじゅーろーという名は備中松山藩の藩士から新選組の隊長となった谷三十郎にちなんで名づけられたという。
たま駅長といい、夢二の黑の助といい、出世する猫に共通する特徴はおおらかで物おじせず、誰からも愛されるという事だろう。
そう考えると、人が来るとサッと隠れてしまう、うちの猫は2匹とも出世しそうもない。
実に残念なことだけれど、そう生まれついたのだから出世は諦めてもらうしかない。
さて山登りですっかりお腹が減り、ふもとに降りて入ったお店の壁に貼られた
お城のポスターにも、さんじゅーろーが大きく映っている。
まさに城主の役割を実にきちんと果たしていると言えるだろう。
まるで口の中に大衆食堂がやってきたような逸品!
高梁の街中を東西に流れる紺屋川沿いの並木道では、ぼんぼりに照らされて桜が満開。
評判と噂のあおやぎのどら焼きを食べながら桜を見る。
生どらは生クリームとあんこが入って、邪道ではあるがとてもおいしい。
桜の下で食べるのはサイコー!
満開の桜を見ながらスケッチ
今高梁では山田方谷を大河ドラマへという機運が高まっている。
備中松山藩に生まれた山田方谷は陽明学者、教育者、政治家で10万両の借金を抱えて財政危機に落ちいっていた藩をわずか8年で立て直し、更に人材も育成。
藩主である板倉さま(ちなみに松山城主末裔も板倉さん)の絶対的後押しがあったとはいえ
2年後には更に10万両(今の300億)の蓄財もなしとげたんですって!
思わず“山田方谷の改革-九つの具体策”読んじゃいました。
バックナンバーはこちら
作家プロフィール
池田あきこ
東京、吉祥寺生まれ。
1976年、革工房わちふぃーるど設立。
1983年、初の直営店を自由が丘にオープン。ショップのシンボルマークとして『猫のダヤン』が誕生した。
1987年より不思議な国わちふぃーるどを舞台に絵本を描き始め、画集、長編物語、旅のスケッチ紀行など多方面に作品を発表。著書は130タイトルを超える。
1999年、初の原画展全国ロードを開始。
2010年から「ボルネオ緑の回廊」プロジェクトで、動物たちに安全な森をプレゼントする活動を続けている。
2018年、立体的に世界を楽しむ「猫のダヤン35周年 ダヤンと不思議な劇場 池田あきこ原画展」を松屋銀座を皮切りに全国ロード開催。河口湖木ノ花美術館にて常設展開催中。
2023年6月28日より猫のダヤン40周年記念展『池田あきこ原画展ーダヤンの不思議な旅』を銀座松屋で開催。
© Wachifield Licensing Inc. All rights reserved.